江若鉄道

江若鉄道の遺構探し

いつも更新を楽しみにさせていただいているたけひろさんのブログの
大津 町で見かけたもの 電信柱/境界杭」という記事で
江若鉄道の境界杭と江若と書かれた傾いた電柱の話題が紹介されています。

境界杭については「新廃線跡を歩く」でも紹介されており、
存在が気になっていたのですが、昨日歴史博物館に行く途中、
大津絵の道を歩いて探してきました。

浜大津で電車を降り、OPAの裏から早速大津絵の道を歩きます。
今回は大津絵の道については紹介しませんが、
興味をお持ちの方は弊ブログの「廃線跡探訪~江若鉄道其の二」をご覧下さい。

浜大津から三井寺の大津絵橋まで足下に注意を払いながら歩きますが、
それらしいものは見当たらず。
境界を示すものなので、道ばたの茂みにも注意を払いつつ、
OPAの裏まで戻りますが、まったく見つかりません。

半ば諦めつつ、大津絵橋を渡り、長等市民センターの方へ向かいます。

水場?を過ぎ、大津絵の道も終わりに近づいたところで、
ついに見つけました。

_MG_1283
民家の植木鉢の横にちょこんと境界杭が立っていました。

_MG_1285
ひとつ見つかると立て続けに3つ境界杭が見つかりました。

_MG_1284
程なくして、大津絵の道は出口に至ります。

出口には大津絵の道の成り立ちが紹介された看板が立っています。
(看板があるので、こちらが入り口かな・・・)

_MG_1286
江若鉄道の廃線跡に作られた道なのに、
江若鉄道についてはまったく触れられていません。

さて、歴史博物館へ向かうため針路を西に変更します。

_MG_1288
そこには傾いた木製の電柱があります。
何度も見た光景。
エライ傾いた電柱があるなぁ程度で特に気にも留めていませんでしたが・・・
 _MG_1287
たけひろさんが紹介されていたように「江若」と書かれています。

この辺りに車庫があったことは確かですが、
いまいち場所がつかめていません。

現在の長等市民センターやキリン堂のあたりが車庫の跡地と思われますが、
電柱の「江若」と書かれているということで、江若と何らかの関わりのある電柱なのでしょう。

この電柱は地図のマークの辺り。
江若の廃線跡・大津絵の道はその右の交差点から右下に延びている道です。

車庫はこのマークの南側の一角だと思いますが、
長等市民センターの西側には古い民家が建っていますので、
この一角の左上を省いた部分に扇形に広がっていたのでしょうか。

また古地図を探しに行かないといけませんね・・・と思いつつ、
試しに国土交通省の国土変遷アーカイブの航空写真を見てみると
1946年10月米軍撮影の航空写真に載っていました。
この地図の駐車場の辺り(現在はキリン堂が建っています)が
車庫で間違いないようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

近江湖の辺の道は江若鉄道廃線跡

今日は489系団臨を撮りに近江高島へ行ってきました。

雨がかなり激しくなってきたので、湖西線の線路の下で雨宿り。
ちなみに琵琶湖側はどうなっているのかな・・・と線路をくぐり抜けると

_MG_6719
どこかでみた景色。

JTBキャンブックス「鉄道廃線跡を歩く」の江若鉄道の項に載っていたポイントでした。

右側の湖西線の築堤は高島トンネルを通り、北小松へショートカットしていますが、
江若鉄道はここから山すそを迂回するように琵琶湖沿いを走ります。
この先は白鬚神社の前を通り、景色のよい路線だったのでしょう。

_MG_6720

近江高島の駅の方はこんな感じです。

湖西線の築堤に沿って側道が続いていますが、
駅までの間に廃線跡であることを示す遺構は残っていませんでした。

↓応援のクリックよろしくお願いします! にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へにほんブログ村 鉄道ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大津飛行場と水耕農場に関する研究

先日からお送りしています水耕農場前駅についてですが、
「水耕農場」前というからには、「水耕農場」があったはず・・・と
調べてみると現在のJR唐崎駅一帯に米軍キャンプがあったことがわかりました。

隣町に住んでいながら、基地があったことは知っていたものの、
米軍が駐留していたとは知りませんでした。
市立図書館に足を運んだものの、該当期間の地図もなく、
特に資料も見当たらず、現地に赴きました。

まず、唐崎駅から東側を見ました。

_MG_6468
北東側には自衛隊基地があります。
その手前の一角も、基地の跡地だと思っていましたが、
ここは水耕農場跡だったようです。

1957年まで米軍に接収され、その後自衛隊の演習地として使用されていましたが、
数年前、再開発しようとしたところ、産廃のドラム缶が発掘され、
土壌汚染が発覚した場所です。

この東のブロックも水耕農場跡地で、
数年前に全国町村国際文化研修所が建設されています。

_MG_6469
一方、南東側にはマンションと、
その東のブロックには唐崎中学校が建っています。

_MG_6470
駅前の地図です。

全国町村国際文化研修所がもう1ブロック東だと思うのですが、
それはさておき、注目すべきは・・・

自衛隊の教習所の東に
「大津航空無線標識所」があることです。

空港となじみのないこの地に、航空関連施設があるのは
やはり飛行場があった名残りでしょうか。

_MG_6471
市民センターへ行こうとロータリーを歩いていると
ロータリー中央の植え込みに「滋賀海軍航空隊跡」の碑がありました。
海軍の航空隊というのがピンとこないですが、
大津には他にも膳所の辺りに飛行場があったようです。

市民センターに行き、図書室に資料はないかと探してみましたが、
やはり適当な資料は見当たりませんでしたが、

航空写真!

_MG_6476
平成5年頃?(正式な年は失念・・・)の航空写真です。

支所の方に写真を撮って良いか尋ねたところ、
市役所の担当の方などに確認を取って下さり、
年月が経っており、著作権の所在が定かではないこと、
夜間は無人で住民が自由に出入りできる場所に掲示されていること等から、
営利目的に使用しないこと、写真を改変しないことを条件に
写真撮影を許可していただきました。
親切に対応して下さった担当者の方、有難うございまいました。

詳しくは後ほど説明しますが、
右の方に大きなブロックが5つあり、
うち1つは自衛隊の教習所、残り4つにはマンションや中学校が建っていますが、
4つの大きなブロックが確認できます。
これが水耕農場跡です。

そして、写真の中央から左手にかけて、
横一直線に学校、グラウンド、学校などが並び、これらをなぞっていくと
飛行場の跡地がうっすらと見えてきます。

が、この写真は開発が進んでいて、わかりにくいので、もう1枚の写真です。

_MG_6480
昭和52年か53年の撮影。
宅地開発もさほど進んでおらず、
国鉄湖西線が開通して間もない頃、江若鉄道の廃線跡も確認できます。
     _MG_6472
北の端です。

右端に移っているのが自衛隊の教習所、
左右に走っているのが、国鉄湖西線、
その上に緩やかに弧を描いているのが江若鉄道の廃線跡です。

この頃はまだ民家は少なく、
左上・旧国道沿いと下中央・穴太辺りにの旧家が立ち並んでおり、
上中央・寺田団地の造成が始まっているようです。

西大津バイパス・湖西道路はまだできていませんが、
左中央から、右下に向け緩やかに弧が描けます。
用地買収が進み、ぼちぼち・・・といったところなのでしょうか。
 _MG_6473
国鉄唐崎駅前のようす。
唐崎中学校はできていますが、
水耕農場跡残り3ブロックは未開発のように見えます。

・・・と思っていたのですが、
ちょうどこの場に居合わせた地元の方が色々教えて下さいました。
手元の資料ではこの4ブロックが水耕農場跡だとされていましたが、
実際は唐崎神社の手前(国道161号線のあたり)まで
水耕農場だったそうです。
そう言われてみれば、大きな4ブロックの東(写真では上、琵琶湖寄り)が
綺麗に直線で区画整理されているのがわかります。

左下(駅の北西)の田んぼと比較していただくと
農道?畦道?がいかに直線的かわかっていただけるかと思います。

さて、飛行場跡ですが、
 _MG_6474
この写真の中央に左右に伸びているのですが、
わかっていただけるでしょうか。

左端、唐崎小学校から始まり、少し幅が狭くなって唐崎幼稚園、
その先は開発されておらず、滑走路がそのままのように見えます。
(今では養護学校などができ、空き地は少なくなっています)
滑走路の先端部には自衛隊の宿舎が建っているようです。

ここでまた地元のおじさんが教えてくれました。
「江若鉄道の引き込み線が滑走路を横切っていた」と。

よくよく見ると唐崎幼稚園の下の田んぼに右上がりの線が入っています。
これが廃線跡ですか?と確認したところ、
ちょうど写真のつぎはぎのようにも見え、違うのでは?と言われましたが、
帰宅後、他の航空写真で確認したところ、どうやら間違いなさそうです。

国土交通省の航空写真のアーカイブです↓
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=MKK682&courseno=C4&photono=5

1968年撮影だそうですが、引き込み線跡がより顕著に描かれています。
滑走路を横切った後は・・・?
際川の現・自衛隊駐屯地まで伸びていたと考えるのが妥当なのでしょうが、
それを示唆する資料は全く見つかりません。

さらにこの写真の下を緩やかに弧を描いているのが国鉄湖西線ですが、
湖西線の左下に江若鉄道の廃線跡が見えます。

この辺りの廃線跡は湖西線の高架に利用され、
側道が廃線跡だと思っていましたが、
線形をよくするためにショートカットさせたのでしょうか。

この廃線跡と先ほどの引き込み線を脳内で繋ぐと
緩やかに接続されるようにも見えてきます。
  _MG_6477

その廃線跡を拡大してみます。

左上に写っているのは毎日牛乳の工場。
国鉄の線路の下に民家が写っており、
その裏側に廃線跡が走っているように見えます。

次回は今の地図と比較していきたいと思います。
文章が多く、読みづらくて申し訳ありませんでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ありし日の江若鉄道」展図録

先週土曜日、錦織車庫に行った帰り、
大津市歴史博物館に寄って
「ありし日の江若鉄道」展の図録を買ってきました。

P1006907


私が産まれたときには既に江若鉄道は廃線になっていましたが、
実家の横が江若鉄道の廃線跡ということもあって、
思い入れの強い鉄道です。

大津市歴史博物館でこのような展示をやっていたとは全く知らず、
図録も買いそびれていたのですが、再版されたということで買ってきました。

三線軌条区間の写真や、当時の浜大津駅の写真の他、
江若鉄道開通~JR湖西線開通に至る経緯なども詳細に書かれていて、
まさに求めていた本でした!

実家の最寄り駅の写真が少なかったのは残念でしたが・・・

「大津の鉄道百科展」も見逃したので、この図録も再版して欲しいです。

↓応援のクリックよろしくお願いします!
にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へにほんブログ村 鉄道ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

廃線跡探訪~江若鉄道

探訪と申しましても、実家の前ですが・・・

江若鉄道とは、滋賀県の浜大津から近江今津までを結んでいた鉄道です。
近江と若狭を結ぼうと「江若」と名付けられたそうですが、
国鉄湖西線が計画されたため、湖西線に譲る形で昭和44年に廃止されました。

実家のすぐ横が江若鉄道の廃線跡で、
幼少時から興味を持っており、小学校の自由研究で歴史を調べたこともありました。

ネットで色々調べていると・・・
廃線前の日吉駅の写真を発見。
 http://blogs.yahoo.co.jp/d19756236/54284354.html

敗戦後に産まれているので、この光景は知らないはずですが、
何だか懐かしい感じです。
大宮川沿いの木立の形が変わらないらかなぁ。

実家でアルバムをあさっているとありました。
この写真の少し先から、同じ方向を撮った写真です。

画像
昭和53年頃撮影。 ネガの状態がよろしくなく、退色補正もいまいちですが・・・ 木立の感じは同じです。 道路もまだ補正されていなく、砂利道です。 中央にポツッといるのが私と母と思われます。

これは一昨日撮りました。

画像
比叡山坂本駅のホームから。 廃線跡の道路が一直線に見えますから、 ここがちょうど日吉駅跡の上空かと思われます。
画像
以前は駅前の三角形の空き地には建設会社の倉庫がありましたが、 いまは公演として整備されています。 その公演から雄琴方面を撮りました。 手前の道路が、「慌てん坊将軍の回想列車が通ります」さんの写真で 踏切のあった道と思われます。
画像
その先、大宮川の手前から撮りました。 年月が過ぎすぎて、木立の形は変わりましたが、 何となく面影は残っています。

大宮川の橋に何か痕跡は無いかと探してみましたが、
雑草が茂りすぎてよくわかりませんでした。
・・・ただここは廃線跡をそのまま使ってるはずですし、
舗装をするときに掘り返して線路が出土したりしていたので、
痕跡はもうないでしょう・・・

また追々この前後も辿っていきたいと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)