江若鉄道の遺構探し
いつも更新を楽しみにさせていただいているたけひろさんのブログの
「大津 町で見かけたもの 電信柱/境界杭」という記事で
江若鉄道の境界杭と江若と書かれた傾いた電柱の話題が紹介されています。
境界杭については「新廃線跡を歩く」でも紹介されており、
存在が気になっていたのですが、昨日歴史博物館に行く途中、
大津絵の道を歩いて探してきました。
浜大津で電車を降り、OPAの裏から早速大津絵の道を歩きます。
今回は大津絵の道については紹介しませんが、
興味をお持ちの方は弊ブログの「廃線跡探訪~江若鉄道其の二」をご覧下さい。
浜大津から三井寺の大津絵橋まで足下に注意を払いながら歩きますが、
それらしいものは見当たらず。
境界を示すものなので、道ばたの茂みにも注意を払いつつ、
OPAの裏まで戻りますが、まったく見つかりません。
半ば諦めつつ、大津絵橋を渡り、長等市民センターの方へ向かいます。
水場?を過ぎ、大津絵の道も終わりに近づいたところで、
ついに見つけました。
民家の植木鉢の横にちょこんと境界杭が立っていました。
ひとつ見つかると立て続けに3つ境界杭が見つかりました。
程なくして、大津絵の道は出口に至ります。
出口には大津絵の道の成り立ちが紹介された看板が立っています。
(看板があるので、こちらが入り口かな・・・)
江若鉄道の廃線跡に作られた道なのに、
江若鉄道についてはまったく触れられていません。
さて、歴史博物館へ向かうため針路を西に変更します。
そこには傾いた木製の電柱があります。
何度も見た光景。
エライ傾いた電柱があるなぁ程度で特に気にも留めていませんでしたが・・・
たけひろさんが紹介されていたように「江若」と書かれています。
この辺りに車庫があったことは確かですが、
いまいち場所がつかめていません。
現在の長等市民センターやキリン堂のあたりが車庫の跡地と思われますが、
電柱の「江若」と書かれているということで、江若と何らかの関わりのある電柱なのでしょう。
この電柱は地図のマークの辺り。
江若の廃線跡・大津絵の道はその右の交差点から右下に延びている道です。
車庫はこのマークの南側の一角だと思いますが、
長等市民センターの西側には古い民家が建っていますので、
この一角の左上を省いた部分に扇形に広がっていたのでしょうか。
また古地図を探しに行かないといけませんね・・・と思いつつ、
試しに国土交通省の国土変遷アーカイブの航空写真を見てみると
1946年10月米軍撮影の航空写真に載っていました。
この地図の駐車場の辺り(現在はキリン堂が建っています)が
車庫で間違いないようです。
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