水耕農場前駅の痕跡を探して①
京阪石山坂本線の滋賀里-穴太間に水耕農場前駅がありました。
厳密には滋賀里駅が戦時中、400m穴太方に移転、
2代目滋賀里駅を名乗っていましたが、
昭和30年、元の場所に滋賀里駅が復活し、
それにあわせて水耕農場前と改称されたそうです。
昭和31年に休止、昭和49年に正式に廃止されています。
ちなみに水耕農場とは、現在のJR唐崎駅の東側に米軍キャンプがあり、
そのなかに水耕農場があったこと由来するようです。
水耕農場前駅の存在は以前から知っていたものの、
当時は廃線跡巡りの趣味はなかったので、気にも留めていませんでした。
が、先日購入した日本鉄道旅行地図帳を眺めていると、
水耕農場前駅が気になり、色々調べていると、
米軍キャンプ、水耕農場、飛行場など・・・
隣町なのに知らなかった事実がたくさん判明し、
今日は水耕農場駅跡と、大津飛行場跡について調べてきました。
まずは、大津市立図書館へ行き、古地図を見たのですが、
肝心の戦時中~戦後の地図は見当たらず、地図では確認できませんでした。
となれば、現地調査です。
気になる水耕農場駅の場所ですが・・・
現・滋賀里駅から北へ400m、滋賀里4丁目交差点、
この北東には京阪電鉄の社有地があり、資材置き場として使われています。
おそらくこの交差点に水耕農場前駅があったのではないかと推測されます。
西大津バイパスの工事に際して作られた資材置き場かと思っていましたが、
廃駅跡だった可能性があると思います。
JR唐崎駅で下車、大津飛行場跡の調査で唐崎支所を訪れ、
その後、滋賀里4丁目の交差点を目指しました。
東から滋賀里4丁目交差点を目指します。
踏切の道路標識がありました。
この先の赤信号が滋賀里4丁目交差点です。
滋賀里4丁目交差点の手前には、唐崎道踏切があります。
水耕農場前の名前がどこかにないかと探しましたが、
残念ながら見つけることができず。
唐崎道踏切から穴太駅の方を望みます。
現在、京阪電鉄の社有地、資材置き場として使われています。
この先は西大津バイパスの立体交差工事で大きく変わってしまっており、
昔の面影を探すのは難しそうです。
一方、踏切の南西側を見てみると・・・
現・滋賀里駅からずっとブロックの上にフェンスが張られ、
その外にガードレールが設置されているのですが、
唐崎道踏切から現・滋賀里駅の方へ、数十mだけ
ブロック+フェンスがなく、ガードレールのみが設置されています。
ブロック+フェンスがいつ設置されたものかわかりませんが、
この部分だけフェンスがないのはホームがあった名残でしょうか?
踏切を渡り、滋賀里4丁目交差点から、現・滋賀里駅方面を望みます。
子供の頃から不自然に思っていましたが、
交差点の南西側だけ、道路が膨らんでいます。
特に交通量が多いわけでもないのに左折レーンがあります。
ただ、この交差点の北西角には昔ながらの簡易郵便局があり、
北西側の道幅は昔からぎりぎり片側1車線の細い道でした。
唐崎道踏切の南東側には線路沿いに三角形の土地がありますが、
形状からしてここに駅があったと考えるのは無理がありそうです。
別角度から(南西から北東を向いています)です。
交差点の南側は片側1車線+西に曲がる左折レーン、
北側は片側1車線であまり余裕がありません。
ガードレールのところに駅があり、
少し道が左にそれていたと考えるのが妥当かと思います。
航空写真で見てみると、交差点の南西部が膨らんでいるのが
一目瞭然ですね。
さらに南から撮ってみました。
途中までガードレールの向こうにブロック+フェンスがありますが、
踏切寄りは一段高くなっているものの、ガードレールしかなく、
やはり、ここが限りなく怪しいという印象を受けました。
次回は現・滋賀里駅を訪れます。




















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