廃線跡

歴史探偵 ~びわこ号在りし日の東山三条

今年3月に大津パルコで開催されていた鉄道模型マーケットで
大津線の懐かしい写真を購入しました。
詳細については「大津線の昔の写真① (追記あり)」をご覧下さい。

その記事の中で購入した写真の紹介と場所の考察を行ったのですが、
先日、twitterで情報をいただいたので、今朝現地に赴いて来ました。

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twitterでいただいた情報によると、
場所は「古川町と白川の間」で後方に移っているのは「前田文具店(?)」だそうです。

早速、yahoo!地図で調べると・・・



古川町通と白川の間に「紙嘉前田商店」という文房具屋さんっぽいお店があります。
さらに調べてみると創業300有余年とのことで、
古くからこの地にお店を構えていらっしゃるようでした。

早速、現地を訪れてみると・・・

「紙嘉前田商店」さんは文房具屋さんと言うより、
本当に古くから営業されている由緒あるお店でした。
お店の方に聞いてみようかと思っていたのですが、
入りづらい雰囲気でしたので、写真を撮ったであろうポイントを探します。

_MG_0014
通りの反対側からお店を撮ってみます。
ちょうどいい具合に京阪バスがやって来たので、びわこ号の代わりに入れてみました。

6_MG_0014 
並べてみます。

文房具屋さんの看板がなくなり、老舗っぽい看板に変わっています。

ここで間違いないのか自信はなかったのですが、右隣の電気屋さん。
看板こそ日立から三菱に変わっていますが、
ドアの形状は同じなので、ここで間違いなさそうです。

もう1枚。

京阪の軌道と直角に平面交差している併用軌道。
おそらく京都市電だと思われるので、東山三条の交差点と推測していたこの写真ですが・・・

6_MG_0017
望遠の関係で昔の写真の方が山が近く見えますが、
稜線の形状から判断して、東山三条の交差点に間違いなさそうです。

一方、写真の左端に移っている「うず潮」洗濯機の看板のある建物。
電気屋さんなのかな・・・と名残を探してみましたが、
特に名残は見つからず、マクドナルドに建て変わったのかとも思いましたが、
今日の写真の方で、ホテルの看板のある建物、
2階の窓の形状が同じではありませんか!

63号が休車になったのは1970年ですので、
少なくとも40年以上前の写真ですが、
探せば当時の名残が残っているのですね・・・

今日はこの2枚しか写真を持って行かなかったのですが、
他の写真についても検証してみたいと思います。

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築港赤レンガ倉庫特別公開

大阪市港区築港にある赤レンガ倉庫が4年ぶりに特別公開されました。

大正12年(1923年)に住友倉庫によって作られたこの倉庫群は
1998年頃まで倉庫として使われていたそうですが、
閉鎖後、大阪市の手に渡り、ギャラリーなどとして活用されていたそうです。

2006年に耐震強度に問題があると閉鎖され、
現在はフェンスで囲まれ、その外から眺めることしかできませんが、
今日、4年ぶりに特別公開されることになりました。
(但し、耐震強度に問題があるため、倉庫内部の見学は不可)

公開は16時半まで、30分毎にツアーがあるとのことで、
子供たちの運動会が終わってから駆けつけましたが、
既に整理券の配布は終了していました。

_MG_9988

せっかくなので、フェンスの外から。

倉庫の前にツアーで入場された方でしょうか、
写真を撮影されている方がいらっしゃいました。

昭和60年頃まではこの倉庫の間に線路が敷かれており、
貨物の荷下ろしなどが行われていました。

フェンス内には入れませんでしたが、
当時の懐かしい写真の展示がされており、
それらを見学できただけでも行った甲斐がありました。

_MG_9993

南側の旧300倉庫です。

_MG_9995

北側の旧200倉庫です。

_MG_9999
ベイリバーサイトパーティー天保山エリア、みなと秋まつりの一環として
本日限りの特別公開が行われましたが、
来年も可能であれば公開したいと受付の方がおっしゃっていました。

耐震化工事十数億円かかるということで、
なかなか全面的な一般公開に向けて話は進まないようですが、
せめてフェンスの中に入れるだけでも・・・

_MG_9996

赤レンガ倉庫前ではライブも開催されていました。
背後に見えるのは阪神高速の港大橋です。

来年のみなと秋まつりでの公開に期待しています!

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江若鉄道の遺構探し

いつも更新を楽しみにさせていただいているたけひろさんのブログの
大津 町で見かけたもの 電信柱/境界杭」という記事で
江若鉄道の境界杭と江若と書かれた傾いた電柱の話題が紹介されています。

境界杭については「新廃線跡を歩く」でも紹介されており、
存在が気になっていたのですが、昨日歴史博物館に行く途中、
大津絵の道を歩いて探してきました。

浜大津で電車を降り、OPAの裏から早速大津絵の道を歩きます。
今回は大津絵の道については紹介しませんが、
興味をお持ちの方は弊ブログの「廃線跡探訪~江若鉄道其の二」をご覧下さい。

浜大津から三井寺の大津絵橋まで足下に注意を払いながら歩きますが、
それらしいものは見当たらず。
境界を示すものなので、道ばたの茂みにも注意を払いつつ、
OPAの裏まで戻りますが、まったく見つかりません。

半ば諦めつつ、大津絵橋を渡り、長等市民センターの方へ向かいます。

水場?を過ぎ、大津絵の道も終わりに近づいたところで、
ついに見つけました。

_MG_1283
民家の植木鉢の横にちょこんと境界杭が立っていました。

_MG_1285
ひとつ見つかると立て続けに3つ境界杭が見つかりました。

_MG_1284
程なくして、大津絵の道は出口に至ります。

出口には大津絵の道の成り立ちが紹介された看板が立っています。
(看板があるので、こちらが入り口かな・・・)

_MG_1286
江若鉄道の廃線跡に作られた道なのに、
江若鉄道についてはまったく触れられていません。

さて、歴史博物館へ向かうため針路を西に変更します。

_MG_1288
そこには傾いた木製の電柱があります。
何度も見た光景。
エライ傾いた電柱があるなぁ程度で特に気にも留めていませんでしたが・・・
 _MG_1287
たけひろさんが紹介されていたように「江若」と書かれています。

この辺りに車庫があったことは確かですが、
いまいち場所がつかめていません。

現在の長等市民センターやキリン堂のあたりが車庫の跡地と思われますが、
電柱の「江若」と書かれているということで、江若と何らかの関わりのある電柱なのでしょう。

この電柱は地図のマークの辺り。
江若の廃線跡・大津絵の道はその右の交差点から右下に延びている道です。

車庫はこのマークの南側の一角だと思いますが、
長等市民センターの西側には古い民家が建っていますので、
この一角の左上を省いた部分に扇形に広がっていたのでしょうか。

また古地図を探しに行かないといけませんね・・・と思いつつ、
試しに国土交通省の国土変遷アーカイブの航空写真を見てみると
1946年10月米軍撮影の航空写真に載っていました。
この地図の駐車場の辺り(現在はキリン堂が建っています)が
車庫で間違いないようです。

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廃線跡探訪 ~陸軍宇治火薬製造所木幡分工場引込線 番外編

今日、久しぶりに交通科学博物館に行ってきました。
いつもはスルーしているCTCのコーナーですが、
流れているビデオの105系が気になり、足を止めました。

ふと、視線を上げると『木幡』の文字が飛び込んできました。

_MG_8100
CTCの説明に使われているのは、実際に奈良線で使われていたものだそうです。

木幡駅の配線を見ると、3本線路があります。

_MG_7905

先日、訪問した際、真ん中に線路が撤去されたような不自然な空間がありましたが、
やはり元々は2面3線の駅だったんですね。

いつ撤去されたのか調べてみたのですが、ネット上ではわかりませんでした。
奈良線の本を見てみないとダメですね・・・

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廃線跡探訪 ~陸軍宇治火薬製造所木幡分工場引込線②

今回は京阪のガード下からJR奈良線の木幡駅に向かいます。
京阪の線路からJRに向けて歩き始め、
1本目に交差する道は前回紹介したように橋桁がかかっています。

2本目に交差する道はと言いますと、

_MG_7892
橋台は残っていますが、橋桁は撤去されています。
↑が東(JR)側、↓が西(京阪)側です。

_MG_7893

さらに進むと、併走していた道が緩やかに登っていき、
やがて築堤と同じ高さまで上がってきました。

_MG_7894
廃線跡の築堤を振り返ってみました。
緩やかに左カーブをしている立派な築堤です。

_MG_7895
廃線跡はJRの線路に沿って続いています。
堂の川?に橋が架かっていましたが、
最近架けられたようで、痕跡は残っていないようでした。

_MG_7896
橋を渡ったところからは遊歩道になっています。
緩やかに右カーブしながら廃線跡が続きます。

_MG_7897
遊歩道に入ってすぐのところにベンチが置かれており、
このような駅名標を模した看板が立っていました。

_MG_7898
遊歩道を木幡駅に向かって歩いていると
うぐいす色の103系が走り去っていきました。

ん?この配線は??

単線から木幡駅に向かって複線に切り替わっていますが、
上り線から1本側線が延びています。

_MG_7899
京都駅の方を振り返ると、複線が単線に切り替わっており、
手前の側線は行き止まりになっています。
この側線が専用線に繋がっていたのかもしれませんが、
遊歩道として整備されている廃線跡はまだまだ続きますので、
違うのかもしれません。

_MG_7900
さらに少し歩くと、右手に神社が見えてきます。
神社の裏には「許波多神社」の看板がありました。

_MG_7903
遊歩道の終点には保育所があり、このような看板が立っていました。

遊歩道の終点までやってくるとすぐそこに木幡駅が見えます。
駅の手前の踏切から線路の配線を確認してみました。

_MG_7904
京都駅の方を振り返ります。
上下線の間の広い隙間が気になります。

_MG_7905
駅の方を見ると、上り線(1番線)の左に明らかに線路が撤去された跡があります。
アスファルトも線路があったであろう部分だけ新しくなっています。

(現在の下り線は左側のホームの左側にあります)

側線の存在、撤去された線路跡、興味をそそる木幡駅でした。

_MG_7906
ちなみにこの廃線跡は「木幡緑道」 として整備されています。
駅前の遊歩道入り口には由来を示すこのような看板がありました。
          _MG_7907
行きには気づきませんでしたが、
帰り道、茂みにこんな石碑があったのを見つけました。  

今回は京阪より西の様子を調査できなかったので、
次回は下調べをして末端部の様子も調べに行きたいです。



今回伺った廃線跡です。
左の方を縦に走っているのが京阪宇治線、
右端に少し移っているのがJR奈良線です。
廃線跡は左上から中央上、右中央、右下と弧を描いている緑地帯です。

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廃線跡探訪 ~陸軍宇治火薬製造所木幡分工場引込線①

今日は大津線の100周年号を撮りに行こうかとも思っていたのですが、
2623-2823もそろそろ入場しそうなので、宇治線へ2600系を撮りに行きました。

六地蔵に向かう途中、木幡の廃線跡のことが頭をよぎり、急遽予定を変更し、
陸軍宇治火薬製造所木幡分工場への引込線跡へ行ってきました。

橋脚のかかっていない不自然な築堤が見えますので、
廃線跡は京阪宇治線の車窓からも確認できます。

木幡駅で下車し、京阪の東側の道を六地蔵の方へ戻ると
橋脚が視界に飛び込んできました。

_MG_7873
ガードレールがあるわけでも、線路があるわけでもなさそうで、
いかにも不自然な構造物です。

_MG_7875
ふと視線を左に移すと、築堤の切れたところを2600系が走り去りました。

_MG_7879
橋桁を見上げてみます。
他にも橋台跡が残っているところはありましたが、
橋桁がかかったままになっているのはここだけのようです。

_MG_7880
橋の下から東を見たところです。
立派な築堤が残っています。

廃線跡をくぐったところで西に折れ、京阪の線路を越えようとしました。


_MG_7881
桁下制限高1.2m!かなり低いです。
左側に写っているのが廃線跡の橋台跡です。

_MG_7882
ガードをくぐり、西側から見てみました。

_MG_7884
廃線跡に登ってみました。
タンポポなどが生えていてのどかな感じです。

帰宅後調べてみたところ、1970年代までは線路も残されており、
京阪の線路の上にも橋脚がかかったままだったそうです。

我が家の近所の鉄道廃線跡さんに当時の写真が載っていました。

_MG_7885
フェンスがあり、これ以上近づくことはできませんでしたが、
京阪との交差部、写っているのは京阪の架線です。

_MG_7883
築堤の先は一般の線路に転用されていました。

今回はちゃんと下調べしてこなかったので、
この先に進んでも火薬庫の場所などはわからないなぁと思い、
折り返し、JR木幡駅の方に向かうことにしました。

_MG_7887
折り返す前に築堤の上から2600系を撮りました。
手前に写っているのは桜の木ですので、
もう少し早くこの地を訪れていれば、桜を絡めて撮ることができたのでしょう・・・

_MG_7890
先ほどのガード横から、2600系をあおり気味に撮ってみました。
          _MG_7891
なかなかこんなアングルで写真を撮れる場所はないですね・・・

また来年の桜の季節に伺いたいと思います。

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石山の日本電気硝子専用線のその後

昨夜、阿久のぶひろさんのライブに行くために
石山のU★STONEへ行ってきました。

この日のメインの目的はライブですが、
もう1つの目的は専用線のその後を確認すること。

_MG_7415
たけひろさんのブログでも紹介されていた通り、
木製の機関庫が撤去されていました。

前回、私がこの場所を訪れたのは2月19日。
その際は↓このような状態でした。

工場内での線路の撤去作業が行われていましたが、
駅構内には本線に繋がっていないながらも線路は残されていました。

この専用線の存在に気づいたのは最近でしたが、
もっと早くに気づき、観察することができていれば・・・と残念です。

各地でこのような専用線・貨物線が休止・廃止されていくのが
とても残念に思います。

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京阪京津線旧線の廃線跡をゆく② ~白川から神宮道まで

前回は古川町から白川まで歩いてきました。
今回は白川から神宮道までを紹介します。

まず、この周囲の様子ですが、下の地図を参考にして下さい。

ちなみにこの地図を左右に走る破線は左京区と東山区の区界です。
廃線跡が町の堺になっていることはよくあることですが、
白川から東、建物の真ん中を境界線が走っているのが気になります。
小川の北側に線路があり、廃線後、道路または空き地になっていたが、
建物を建てるにあたり、北側の土地と併合したのではないでしょうか。
(昔の地図に道は載っているのですが、小川がなく、
  この部分の小川と廃線跡の位置関係がわかりません)

さて、白川は地図の上中央から左下にかけて、南西の方角に流れています。
この地図の中央あたりで東から流れてきた小川と合流します。

_MG_6669
地図の左の方、枡富寮の下、
白川に南北にかかっている堀池橋から撮りました。

左に曲がって言っているのが白川の本流、
正面右手に水路が見え、その奥に民家が建っていますが、
その手前ガレージの下を小川が流れているものと思われます。

今度は振り返り、廃線跡を撮ってみます。

_MG_6670
左奥に斜めに延びているのが、廃線跡の路地。
右端に用水路?と空き地のフェンスが見えます。

話は変わりますが、地元のおばさんが川の水を汲んでいらっしゃいました。
白川は街中とは思えない綺麗な川で、
地元の方の生活と密接していることが覗えました。

_MG_6671
そして、先ほどの写真に写っているフェンスの向こうには空き地。
その左には用水路がありました。
右側の川が白川です。

意味深な三角形の空き地。
用水路の石垣なども見てみましたが、
特に鉄道が走っていた遺構などはなさそうでした。

次に、この先の廃線跡は・・・と東側の小川の方を見てみます。

_MG_6672
小川との合流地点には水路がありました。
ぱっと見た感じ、民家が建っていてこの先に川があるとは到底思えません。

_MG_6673

白川に人用の細い橋が架かっていましたので、
その橋の上から北の方を撮ってみました。

何やら堰のようなものが見えますが、
位置的、形状的に鉄道の遺構ではなさそうです。

奥に平安神宮の鳥居が見え、桜もたくさん植えられていますので、
桜の季節は綺麗でしょうね。

_MG_6674
橋を渡り、東側の小川の上にやってきました。

河原?にごちゃごちゃ植物が自生しており、
川の様子はいまいちわかりません。

その奥に白川と並行に用水路が見えます。

_MG_6675
この地点から対岸の廃線跡を望むとこんな感じです。

お宮さんの前の鳥居の右側から、
この小川の右側に線路があったと考えるのが自然でしょうか。

・・・と現地調査はここまでなのですが、
家に帰ってきて色々調べてみると、

『車両発達史シリーズ1 京阪電気鉄道』(1991年2月刊行)に
『白川とその西側の用水路には現在も石積の橋台が認められる』とあり、
日本ナショナルトラスト 鉄道サークル会報 第78号』(1996年2月)にも
『殊に、『白川』に架かる鉄橋の橋脚が片方だけ残っているのは印象的だ』
とも書かれていました。

少なくとも1990年代半ばまでは橋台があったようですが、
今は残っていないのか、私が見落としただけなのか・・・
東側の用水路の辺りが怪しいとも思いますが、
上の写真の右端をよく見ると、途中から石垣の形状が新しくなっています。
最近、護岸工事が行われて、撤去された可能性もあるかもしれません。

また桜の季節にでも伺いたいと思います。

さて、この先は道がありませんので、南側の路地を通って迂回しました。

_MG_6676
大通りに出ると、そこは神宮道です。

東側を見ると、建物と建物の間に怪しい小屋があります。
どうやらこの下に先ほどの小川が流れているようなのですが、
ここが廃線跡と判断して間違いなさそうです。

_MG_6677
一方、西側は、マンションの駐車場へ向かう通路になっています。
この左手には小川が流れています。

昔の地図によると神宮道の西側に駅があったとのことなので、
ここが神宮道の駅跡と判断して間違いないでしょう。

_MG_6678

ちなみに神宮道はバス停の名称として残っています。

神宮道バス停と平安神宮の鳥居を撮ってみました。

次回はさらに東へ、広道駅跡を探しに行きます。

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京阪京津線旧線の廃線跡をゆく① ~古川町から白川まで

今日は以前から気になっていた京津線の旧線の廃線跡を歩いてきました。

京津電気軌道によって敷設された当時の京津線は三条通が狭かったため、
東山三条-蹴上で晩年の三条通の併用軌道より北側に線路が曳かれていました。

今回は古川町(後の東山三条)から白川までを紹介します。
こちらの地図と照らし合わせながらご覧下さい。

_MG_6706
三条から古川町までは三条通に線路が曳かれていたものと思われます。

東大路通りを超え、古川町の商店街の前あたりに東山三条駅がありました。

_MG_6659
商店街の前から北東を望むと、交差点の向こうに斜めに駐車場があります(A地点)。

_MG_6658
駐車場の奥に見えるのが、京都文教短大附属小学校だと思われます。

この裏側にまわるべく、北側の路地(B地点)に移動しました。

_MG_6662
この路地を東に歩いて行くと、北東に斜めに傾いた倉庫を発見。

_MG_6660
その反対側には斜めに傾いた白い家があります。

路地に沿って直角に家が建ち並んでいるのに、
この2つの建物だけが斜めに建っているのは不自然です。

この一角を航空写真で見てみると・・・


左下の駐車場から、この斜めの白い家、倉庫と一直線に並んでいます。
おそらく廃線跡の空き地に後から建てられた建物なのでしょう。

先ほどの倉庫の少し東に駐車場があります。

_MG_6661
古地図と現在の地図を照合すると、
この先の廃線跡はもう1本北の路地だと思われます。

・・・となると緩やかに接続させるためには、
この駐車場の奥の方を斜めに横切っていたと考えるのが妥当です。

そこでもう1本北の路地に移動してみます。

_MG_6663
路地の入り口(C地点)です。
左側は京都文教学園の敷地です。
この写真の奥の方で、廃線跡と合流すると思われます。

_MG_6664
D地点で路地は左にカーブします。
この先の路地をまっすぐ伸ばし、緩やかに南にカーブさせると
ちょうど先ほどの駐車場を通り斜めの倉庫と繋がりそうです。

_MG_6665
この路地は緩やかに左にカーブしながら東へ向かいます。

_MG_6666
この路地から横にそれたところにお地蔵さんがありました。
何か手がかりになるかと思いましたが、残念ながら手がかりはありません。

さらに進むとやがて目の前に白川が見えてきました。

    _MG_6667
そこで振り向くとこんな感じです。
緩やかに右にカーブしています。
 _MG_6668
廃線跡と思われる路地は白川の河原に出ました。
ここから白川を渡り、神宮道駅に至るのですが、
この先は次回にさせていただきたいと思います。

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近江湖の辺の道は江若鉄道廃線跡

今日は489系団臨を撮りに近江高島へ行ってきました。

雨がかなり激しくなってきたので、湖西線の線路の下で雨宿り。
ちなみに琵琶湖側はどうなっているのかな・・・と線路をくぐり抜けると

_MG_6719
どこかでみた景色。

JTBキャンブックス「鉄道廃線跡を歩く」の江若鉄道の項に載っていたポイントでした。

右側の湖西線の築堤は高島トンネルを通り、北小松へショートカットしていますが、
江若鉄道はここから山すそを迂回するように琵琶湖沿いを走ります。
この先は白鬚神社の前を通り、景色のよい路線だったのでしょう。

_MG_6720

近江高島の駅の方はこんな感じです。

湖西線の築堤に沿って側道が続いていますが、
駅までの間に廃線跡であることを示す遺構は残っていませんでした。

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